誹謗中傷や妬み嫉みはなくならない…だからこそ我々が身につけるべきこと

こんにちは。いい人がいい人のまま幸せに生きる知恵と勇気を届ける学び舎『玄徳庵』のこうめいです。

有名な方が自ら命を落とされる。こういうことが度々見受けられますが、これは有名な方だから伝わってきているだけで、日本は毎年たくさんの方が自ら命を落とされているという事実があるわけです。

私も元々は塾の先生をやりながら、「この子たちが大人になって、不条理な社会につぶされ命を失うことがない社会にしたい」という思いがあり、行政書士という法律家になり、そして今はお坊さんをやりながら玄徳庵という学び舎を開催しています。

こういう犠牲になる人の多くは、「自己犠牲型のギバー」だと私は考えていて、その証拠に、みんなが口をそろえて「いい人だったのに」という方が被害にあわれることが多いですよね。

もうちょっと自分勝手で、もうちょっと自己中心的であれば選ぶ未来は変わったのでしょうか?

そう思うとちょっとだけやるせない気持ちになります。

ところでこういう事件が起こると「誹謗中傷をなくすべきだ」という意見が飛び交うのですが、残念ながらそれは難しいと私は思います。

人類みな友達。話し合えば分かり合える。そんな世界は、残念ながら存在しえないんですね。これは私が法律業をやっているときに何度も学びました。

だからこそ、誹謗中傷をなくす方法を考えるのではなく、私たちは、そういう人たちに負けない生き方を身につけることが大事なんではないかと最近思ってます。

そんな思いからTwitterでこんなこと発信してみました。

さいや、なんで被害者側が変わらなければならないんだ。

もちろん気持ちはわかるんですが、誹謗中傷で優越感を感じる人たちは「正義の執行」をしているつもりかもしれませんが、基本テイカー的発想で行動をしてしまっていることが多いです。

  • この人を誹謗中傷することで有名になってやろう。
  • この人を誹謗中傷して会社でのストレスを発散してやろう。
  • この人の誹謗中傷をして自分はどれだけ優秀なのか?世間に知らしめてやろう。

色んな思惑があると思いますが、言葉というのはその言葉だけではわからないことがたくさんあり、それを発した人の色んな思惑がそうしても複雑に絡み合ってくるものです。

そして残念ながらテイカーにギバーからの真摯な対応は通用しませんし、テイカーに善意の自己犠牲を発揮してもカモにされるだけという側面があります。

だから、自己犠牲型のギバーではテイカーを変えることができないんです。

だからテイカーが来た時に、どのような対応をするかをしっかりと決めておく必要があります。

例えば、SNSのブロック機能を使う。私はブロック機能を普通に使ってます。

あ、この人と関わると自分の幸せを侵害されそうだな。あるいは自分が相手を不快にさせそうだな。と思う人のアカウントは、そっとブロックしてお互いがかかわらないようにしています。

こういう自己防衛をすること自体は全然問題ないと思います。

ブロックされると文句を言う人がいますが、気にする必要はありません。

ただ、自分が暴言を吐いておいて、それを注意されたときにブロックして逃げるのは私はおかしいと思っているので、そういう時は素直に反省してアドバイスを学ばせていただくようにしています。

一応暴言などでもめたことはないんですが、行政書士時代なんかは言葉の表記の仕方でたまにアドバイスが入ったので、それは素直に受け入れてました。

そういうルールを明確に決めて、自分の心を守る方法を見つけておくのってめちゃくちゃ大事です。

特にネットのせいで、緩く24時間つながり続けている社会ですから、自分の心を無防備にしていると簡単にテイカーに壊されてしまいます。

だから、自分の身を守るアンテナをしっかり張りながら、社会と付き合っていく。そういう工夫は必要だと思うんです。

そんな工夫をぜひこの機会に皆さんにも考えてほしいなと私は切に願います。

ということで今日はここまで。

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