テイカーを恐れるあまり「テイカー」のレッテル張りを始めてはいけない

こんにちは。いい人がいい人のまま幸せに生きる知恵と勇気を届けるギバーの学び舎!玄徳庵のこうめいです。

たまにですがTwitterなどで私がニュースなどをピックアップして、「こういうのはテイカー行為になるからやったらだめ」「こういうのはテイカーだから逃げて」という投稿をすることがあります。

ただ、あの投稿をするときは私結構気を使ってます(笑)

というのも、安易に何でもかんでもテイカー(自分の利益優先の人)だと宣言してしまうと、自分と価値観が合わない人はみんなテイカーというレッテルを貼ってその人から逃げればいいんだ。

そういう風に勘違いを与えてしまう可能性があるからです。

実は私がよく言うテイカーやギバーですが、気を付けての欲しいのは、テイカーは生まれてから死ぬまでテイカーということではありません。

例えば、毎日ご飯が食べられる環境であれば、自分よりお腹がすいてそうな人に一食ぐらいならと食事を分けることができるかもしれません。

でも、一週間何も食べれなかったにもかかわらず、その一週間ぶりの食事をほかの人に分けることはほぼ不可能ではないでしょうか?

結果だけを見ると、最初の人はギバー。あとの人はテイカーとレッテルを貼れるのですが、実際はその背景まで見なければ見えてこない部分があります。

レ・ミゼラブルのジャンバルジャンは、空腹な姉の子供のためにパンを盗んで逮捕されますが、パン屋から見ると彼はテイカー。そして姉の子供から見ると自分を犠牲にしたギバーなわけです。

レ・ミゼラブルを知らない人はAmazonで映画もみれますよ

人間関係の難しいところはこういう両面性があるところを無視してしまうと本質を見誤るところにあるんですよね。

特に今の時代は、SNSを中心に安易にレッテルを貼り攻撃しあうのがはやってます。

良くないよね。

でも、ギバー・テイカー・マッチャーという分類を使うということは、私たちもそういうレッテル張りにハマってしまう可能性があるってこと。

これは玄徳庵の先生も気をつけてほしいし、私も当然気を付けるし、皆さんにも気を付けてほしいところ。

そこで一つ提案しているのが、「人」に「テイカー」というレッテルを貼るのではなく、その人がした行為に「テイカー行為」という風に人ではなく行動にレッテルを貼る??

…と言うと語弊があるね。

言いたいのは、「人ではなくその人の行動の一つ」にテイカー行為かどうかのアウト・セーフの判断をするのがいいんじゃないかってこと。

さっきも言ったけど人って複雑でいろんな面を持ち合わせているから完全には理解できないのね。

でもね、その人がした今の行動一つに関してだけなら判断はできるんだ。

たとえば、電車で席を譲ろうとしたらおじさんに横取りされた。これは、行動だけ見るとテイカー行為。だけど、このおじさんはテイカーなひどい奴とレッテルを貼ってはダメ。

普段はいいおじさんでも体調不良で意識がもうろうとしていたなら、ごめんなさいと思いつつも坐ってしまうかもしれない。

それでも我慢して席を譲れるのはよほどの強い意志を持っている人でないと難しい。

もちろん、そういうのは雰囲気でなんとなくわかるかもだけど、可能性としてはゼロではないよね?

でも、行動に関してはテイカー行為をされたから今日はちょっとこのおじさんと離れようかな?という判断はしてもいいと思うんだよね。

ちょっと難しい匙加減なんだけど、人ではなく行動に注目をする癖をつけて、人にはレッテルを貼らないようにお互い気を付けていきましょうね。

ということで今日はここまで。

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